🌊 水橋の海辺に並ぶ2本の河口は、明治に掘って分けたもの
- 常願寺川は、河口の近くで白岩川と合流していて、土砂がたまりやすかった
- 安政5年(1858)の大地震で上流の鳶山(とんびやま)一帯が崩れ、常願寺川は荒れた川に
- 明治24年(1891)7月の洪水のあと、国はオランダ人技師デ・レイケを派遣。その計画で、新しい川を掘って河口を分けた
- 河口から上滝までの改修は明治26年(1893)に完了。それでも土砂は止まらず、明治39年から砂防工事が始まった
富山市水橋の海辺には、常願寺川と白岩川の河口が、すぐ隣に並んでいます。この2本の川は、昔は河口の近くでひとつになっていました。明治・昭和・いまの地図を並べて、河口が分けられた理由を見ていきます。
明治・昭和・いまの地図で見る、2本の河口

河口を分ける工事は明治26年(1893年)に終わっているので、左の明治の終わりの地図では、2本の川はもう別々に海へ流れています。中の昭和、右のいまの地図でも、2本の河口は並んだままです。
地図:「今昔マップ on the web」(谷謙二)より作成/地理院タイル
安政5年の大地震で、常願寺川は荒れた川に
安政5年(1858年)の大地震(飛越地震)で、常願寺川の上流の鳶山(とんびやま)一帯が大きく崩れました。このときの大量の土砂が洪水とともに下流へ流れ出し、常願寺川は荒れた川になりました。
出典:国土交通省「常願寺川の歴史」
明治24年の洪水と、オランダ人技師デ・レイケ
| 年 | 出来事 |
|---|---|
| 明治24年(1891)7月19日 | 大雨による大出水で、堤防があちこちで切れる |
| 8月6日 | 内務省が、オランダ人技師ヨハネス・デ・レイケを富山へ派遣 |
| 見えてきた問題 | 河口の近くで白岩川と合流していて、土砂がたまりやすい |
| 立てた計画 | 新しい川を掘って白岩川との河口を分け、堤防を陸側へ大きく移して川幅を広げ、つくり直す |
| 工事をしたのは | デ・レイケの計画をもとに、富山県が改修工事に取りかかった(工事費の8割は国の補助) |
| 明治26年(1893) | 河口から上滝までの改修が完了 |
デ・レイケは、国や資料によって「デ・レーケ」とも書かれます。
出典:内閣府防災「1858 飛越地震 報告書 第4章」/国土交通省「常願寺川の歴史」/農林水産省「土地改良偉人伝 ヨハネス・デ・レーケ」
それでも土砂は止まらず、上流で砂防工事へ
河口を分けたことで下流の氾濫は減りましたが、上流から流れてくる土砂は止まりませんでした。
| 年 | 出来事 |
|---|---|
| 明治39年(1906) | 上流で土砂を止める砂防工事が、県の事業として始まる |
| 大正15年(1926) | 砂防工事が国の直轄(国が直接受け持つ)になる |
出典:内閣府防災「1858 飛越地震 報告書 第4章」/国土交通省 富山河川国道事務所「常願寺川流域懇談会資料」
砂防の歴史は、立山カルデラ砂防博物館で
常願寺川の上流の砂防の歴史は、立山町芦峅寺にある立山カルデラ砂防博物館で知ることができます。2階の「SABO展示室」(無料)と「立山カルデラ展示室」(有料)で、立山の砂防の歴史や安政の大災害が紹介されています。
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 場所 | 富山県中新川郡立山町芦峅寺字ブナ坂68 |
| 開館時間 | 9:30〜17:00(入館は16:30まで) |
| 休館日 | 月曜日(祝日のときは開館) |
| 料金 | 一般500円、大学生以下は無料(SABO展示室は無料) |
出典:立山カルデラ砂防博物館 公式サイト「利用案内」「屋内展示の紹介」
古地図を重ねたリール動画
明治・昭和・いまの地図を順番に重ねた動画を、富山みっけのInstagramに載せています。
さいごに
水橋の海辺に並ぶ2本の河口は、明治の大洪水のあとに人の手で分けられたものでした。海沿いを通るときに、「ここで川を分けたんだな〜」と思い出すと、ちょっと景色の見え方が変わりますね!
同じく暴れ川を付け替えた、神通川の話も、あわせて読んでみてはいかがでしょうか〜!
同じくデ・レーケが関わった、黒部川の四十八ヶ瀬と霞堤の話も書きました。


この記事は2026年10月27日時点の、国土交通省「常願寺川の歴史」、内閣府防災「1858 飛越地震 報告書」、農林水産省「土地改良偉人伝」、国土交通省 富山河川国道事務所の資料、立山カルデラ砂防博物館 公式サイトをもとに書いています。地図は「今昔マップ on the web」(谷謙二)と地理院タイルから作成しました。




