🚄 新高岡駅のあたりは、明治から昭和まで一面の田んぼだった
- 明治43年(1910年)の地図では、駅のあたりは「田」の記号ばかり
- 田んぼを横切る線路は、明治30年に中越鉄道として開通した、いまのJR城端線
- 昭和5年・昭和43年・昭和58年の地図でも、1970年代の航空写真でも、駅の場所は田んぼのまま
- 2015年3月14日、北陸新幹線の新高岡駅が開業。いまも駅の南には田んぼが残る
北陸新幹線の新高岡駅(高岡市)。いまは駅のまわりにお店や駐車場が並んでいますが、明治・昭和の地図で同じ場所を見ると、一面の田んぼでした。
明治・昭和・いまの地図と航空写真を並べて、新幹線の駅ができるまでを見ていきます。
明治43年の地図・1970年代の写真・いまの写真で見る、新高岡駅のまわり

左の明治43年(1910年)の地図では、赤い点のまわりに小さな記号が並んでいます。ほとんどが田んぼをあらわす「田」の記号です。家は、西側の下黒田などの集落にまとまっているだけでした。
まん中は1974〜78年に撮られた航空写真です。田んぼの四角が、びっしりと並んでいます。右のいまの写真では、駅の北側に家やお店が増えましたが、駅の南側にはいまも田んぼが残っています。
地図:「今昔マップ on the web」(谷謙二)より作成/国土地理院 地理院タイル(1974〜78年の写真・写真)を加工して作成
田んぼを横切っていた線路は、いまのJR城端線
明治43年の地図で、田んぼの中を南北に通る1本の線路が、いまのJR城端線です。城端線は、民営の中越鉄道として開業しました。
| いつ | できごと |
|---|---|
| 明治28年(1895) | 中越鉄道(株)が設立される |
| 明治30年(1897)5月 | 黒田(高岡市)〜福野の間で開通。県内で初めての民営鉄道 |
| 明治31年(1898)1月 | 高岡〜城端の間が全通 |
| 大正9年(1920)9月 | 国有化され、国鉄になる |
| 昭和17年(1942)8月 | 高岡〜城端の間が「城端線」になる |
出典:文化遺産オンライン「高岡駅発汽車時間表」(高岡市立博物館蔵)の解説
新高岡駅の住所も、高岡市下黒田。明治の地図にある「下黒田」の集落のすぐ東側に、新幹線の駅ができたことになります。
昭和の地図でも、駅の場所は田んぼのまま
| いつ | 地図・写真で見えること |
|---|---|
| 昭和5年(1930) | 地図は明治とほとんど変わらず、駅の場所は田んぼ |
| 昭和43年(1968) | 北側に工場や家が増える。駅の場所は田んぼのまま |
| 1974〜78年 | 航空写真でも、田んぼの四角がびっしり並ぶ |
| 昭和58年(1983) | まわりに道が増えるが、駅のまわりはまだ田んぼ |
国の資料でも、新高岡駅のまわりの地区は、道路沿いの商業施設などのほかは「水田等の農地が主体」と説明されています。
出典:国土交通省 北陸地方整備局「新高岡駅(仮称)周辺地区(一期)」
2015年3月14日、田んぼの中に新幹線の駅
2015年(平成27年)3月14日、北陸新幹線の長野〜金沢の間が開業し、新高岡駅ができました。新高岡駅は、JR城端線との乗りかえ駅にもなっています。
出典:日本郵便「北陸新幹線(長野・金沢間)開業」特殊切手/国土交通省 北陸地方整備局「新高岡駅(仮称)周辺地区(一期)」
駅のまわりでは、高岡市が道路や公園、駅の南側の立体駐車場などを整えてきました。開業の8年前、平成19年4月には「北陸新幹線新高岡駅(仮称)周辺まちづくり計画」がつくられています。
出典:国土交通省 北陸地方整備局「新高岡駅(仮称)周辺地区(一期)」「新高岡駅周辺地区(二期)」
古地図を重ねたリール動画
明治・昭和・いまの地図と航空写真を順番に重ねた動画を、富山みっけのInstagramに載せています。
さいごに
新幹線で新高岡駅に降りたら、「ここ、明治のころは一面の田んぼだったんだ〜」と思い出してみてください。新幹線の駅に合わせて城端線の駅もつくられましたが、その城端線は、明治から田んぼの中を走ってきた線路です!
何もなかった場所にできた、という話では、富山空港の滑走路も同じです。あわせて読んでみてはいかがでしょうか〜!

富山駅も、はじめは別の場所にありました。

新高岡駅から北へ行くと、高岡城のお堀が残る高岡古城公園です。

この記事は2026年11月3日時点の、国土交通省 北陸地方整備局の資料、文化遺産オンライン、日本郵便のページをもとに書いています。地図は「今昔マップ on the web」(谷謙二)と国土地理院の地理院タイルから作成しました。



