🛣️ 富山の中心街のまっすぐ広い道は、空襲のあとの「戦災復興」で生まれた
- 昭和5年(1930年)の地図では、江戸時代の城下町から続く町に、細い道が入り組んでいる
- 昭和20年(1945年)8月2日の未明、空襲で富山の市街地は一夜にして焦土になった
- 昭和22年(1947年)、県内で初めての知事施行による「富山戦災復興土地区画整理事業」が始まり、約554ヘクタールの道路と区画を整え直した
- 事業は昭和47年(1972年)まで続き、いまの富山の中心市街地の骨組みになった
富山駅から富山城址公園へ、まっすぐ延びる城址大通り。中心街の道が広くて四角く区切られているのは、戦争のあとの町づくりのおかげです。昭和5年・昭和43年・いまの地図を並べて、空襲のあと富山の道がどう変わったのかを見ていきます。
昭和5年・昭和43年・いまの地図で見る、富山の中心街

左の昭和5年(1930年)の地図では、富山城址の南に家がびっしりと建ち、細い道が入り組んでいます。いまの城址大通りにあたる広い道は、まだありません。
中の昭和43年(1968年)の地図では、道がまっすぐ広くなり、区画も大きく四角く整っています。富山駅から城址の東へ、広い道(いまの城址大通り)が通っています。右のいまの地図でも、道の形は昭和43年とほとんど同じです。
地図:「今昔マップ on the web」(谷謙二)より作成/地理院タイル
城下町から続く、入り組んだ町
富山の中心街は、江戸時代に富山藩10万石の城下町としてできた町です。

城址の南の総曲輪・西町のまわりを大きくすると、違いがよく分かります。左の昭和5年の地図では、細い道で小さく区切られた町に家が詰まっています。右の昭和43年の地図では、道の幅が広がり、区画が大きくそろっています。
出典:富山市中心市街地活性化基本計画(概要)(内閣府認定)
昭和20年8月2日、市街地は一夜にして焦土に
昭和20年(1945年)8月2日の未明、富山市は焼夷弾による空襲を受けました。富山市が城址公園に立てた説明板には、市街地は一夜にして焦土と化した、と書かれています。
終戦のあと、富山では全国に先がけて戦災復興計画がつくられ、その計画にそって市街地の復興が進められました。
出典:総務省「戦災復興記念像(天女の像)」(碑文と富山市の説明板)/富山市郷土博物館 企画展「富山産業大博覧会 ~戦災復興から発展へ~」
昭和22年、県内初の知事施行「富山戦災復興土地区画整理事業」
焼けた町を、道路や公園を入れ直して整えるために行われたのが「土地区画整理」です。富山では、昭和22年(1947年)に、県内で初めての行政庁施行(知事施行)による富山戦災復興土地区画整理事業が始まりました。
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 事業の名前 | 富山戦災復興土地区画整理事業 |
| 施行者 | 行政庁(知事) |
| 面積 | 554.1ヘクタール |
| 施行期間 | 昭和22年(1947年)〜昭和47年(1972年) |
富山県は、この事業で「現在の富山市の骨格が形成され近代的な都市に生まれ変わりました」と書いています。富山市の計画でも、戦後の戦災復興土地区画整理事業などで道路や区画の整理が進み、いまの中心市街地ができた、とされています。
富山駅と城址を結ぶ城址大通りも、この戦災復興でつくられた道です。
出典:富山県「富山県の土地区画整理 区画整理によるまちづくり」/富山市「土地区画整理事業一覧表」/富山市中心市街地活性化基本計画(概要)/富山市郷土博物館「富山城址の変遷」
年表:空襲から、戦災復興記念像まで
| 年 | 出来事 |
|---|---|
| 昭和5年(1930) | この年の地図では、城下町から続く町に細い道が入り組んでいる |
| 昭和20年(1945)8月2日 | 未明の空襲で、市街地が一夜にして焦土になる |
| 昭和22年(1947) | 県内初の知事施行による、富山戦災復興土地区画整理事業が始まる |
| 昭和29年(1954) | 城址公園一帯で富山産業大博覧会。都市計画事業が終わる予定の時期にあわせて開かれ、復興した富山の姿を全国に示した |
| 昭和47年(1972) | 富山戦災復興土地区画整理事業の施行期間が終わる |
| 昭和49年(1974)8月1日 | 城址公園に、戦災復興記念像(天女の像)が建てられる |
出典:富山市「土地区画整理事業一覧表」/富山県「富山県の土地区画整理 区画整理によるまちづくり」/総務省「戦災復興記念像(天女の像)」/富山市郷土博物館 企画展「富山産業大博覧会 ~戦災復興から発展へ~」
城址公園の「天女の像」に刻まれた言葉
富山城址公園には、戦災復興を記念した戦災復興記念像(天女の像)があります。昭和49年(1974年)8月1日に、富山復興特別事業協議会が建てました。
像の碑には、焼け跡から立ち上がった市民の努力で戦災復興の大業が成り、近代的な都市が生まれたことが刻まれています。像は公園の中にあり、自由に見られます。
いま行くなら:天女の像と、郷土博物館(富山城)
天女の像のある城址公園の天守閣は、昭和29年の富山産業大博覧会にあわせて建てられたもので、いまは富山市郷土博物館です。いまは特別展「昭和を灯す」が12月6日(日)まで開かれています(10月27日〜30日は休館)。
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 場所 | 富山城址公園(富山市本丸1) |
| 行き方 | 富山駅・電鉄富山駅から歩いて約10分 |
| 天女の像 | 公園の中にあり、自由に見られる |
| 市内電車 | 環状線「国際会議場前」で降りて歩いて約2分 |
| 駐車場 | 郷土博物館の専用駐車場はない。城址公園地下駐車場(有料・最初の1時間330円、あとは30分ごとに110円)。障害者用の駐車スペースあり |
| 郷土博物館の時間 | 9:00〜17:00(入館は16:30まで) |
| 郷土博物館の観覧料 | 大人500円(20名以上の団体は400円)、高校生以下は無料。常設展も同じ料金で見られる |
| 障害者割引 | 身体障害者手帳・療育手帳・精神障害者保健福祉手帳を持つ人と介助者1名は無料(受付で手帳を見せる) |
出典:総務省「戦災復興記念像(天女の像)」(所在地)/富山市郷土博物館「交通アクセス」・特別展「昭和を灯す」の告知

古地図を重ねたリール動画
昭和5年・昭和43年・いまの地図を順番に重ねた動画を、富山みっけのInstagramに載せています。
さいごに
ふだん何気なく歩いている城址大通りや中心街の広い道は、空襲で焼けた町を、25年かけて整え直した結果なんですね。城址公園に寄ったときは、天女の像の碑もちょっと読んでみてはいかがでしょうか〜!
同じ空襲のあと、富山城のお堀ががれきで埋められた話も、あわせて読んでみてください。

富山の中心街の北側が、昔は神通川の流れの中だった話もどうぞ。

この記事は2026年10月29日時点の、富山県・富山市・総務省の資料と富山市郷土博物館の資料をもとに書いています。地図は「今昔マップ on the web」(谷謙二)と地理院タイルから作成しました。




