🌊 御福新町は、本当にいまの神通川の中にある
- 御福新町(ごふくしんまち)は、江戸時代から明治35年まであった富山城下の北西のはしの町
- 北陸街道の西の入口にあり、番所が置かれていた。天保12年(1841年)には家が67軒
- 明治34〜36年(1901〜1903年)の馳越線(はせこしせん)工事で、町の全部が新しい川の敷地に
- 跡は神通大橋の南、西の岸寄りの川の中。住民は五福・桜谷・神通町の方へ移った
「いまは神通川の中にあるという、御福新町について分かることはありますか?」というご質問をいただきました。ありがとうございます!調べてみると、地名の辞典に、町が川の中になったいきさつが書かれていました。明治・昭和・いまの地図を並べて見ていきます。
明治・昭和・いまの地図で見る、御福新町のあたり

左の明治43年(1910年)の地図では、五福村から東へのびる道が、新しい神通川の手前で途切れています。川の向こう岸には愛宕町(あたごまち)の家並みがあります。江戸時代は、この道が北陸街道として富山の城下から愛宕町を通り、五福村へ、そして西の高岡へとつながっていました。
その途切れたあたりにあったのが御福新町です。地名の辞典には、町の跡は「神通大橋南の神通川左岸寄り川中」とあります。右のいまの地図では、オレンジの四角のあたりは川と河川敷です。
地図:「今昔マップ on the web」(谷謙二)より作成/国土地理院 地理院タイルを加工して作成。オレンジの線と四角は、辞典の記述と地図をもとに富山みっけが描いたもので、町のくわしい範囲は分かっていません
御福新町は、どんな町だった?
御福新町は、五福村の一部が町並みになってできた町と考えられています。安永8年(1779年)の書き上げに町の名前があり、天保12年(1841年)には家が67軒、男144人・女132人が暮らしていました。
富山城下の北西のはしで、北陸街道の西の入口にあたり、番所が置かれていました。城下から西の高岡へ向かう人は、七軒町から舟橋を渡り、愛宕町を通って、この町を抜けていきました。
出典:平凡社 日本歴史地名大系「御福新町」(コトバンク)/角川日本地名大辞典 16 富山県「御福新町」(JLogos)
馳越線工事で、町の全部が川の敷地に
明治時代まで、神通川は富山城のすぐ北で大きく曲がって流れ、たびたび洪水を起こしていました。そこで明治34年(1901年)から、曲がった部分を近道でつなぐ、まっすぐな水路を掘る「馳越線(はせこしせん)工事」が始まり、明治36年(1903年)に完成します。
この新しい川の通り道に、御福新町がまるごと入ってしまいました。辞典には、町の全地域が新しい川の敷地になるため、住民は五福・桜谷・神通町の方へ移った、とあります。町の名前は明治35年までで、その後は使われていません。
| 年 | 出来事 |
|---|---|
| 安永8年(1779) | 書き上げに「御福新町」の名前が出てくる |
| 天保12年(1841) | 家が67軒、男144人・女132人 |
| 明治17年(1884) | 「富山御福新町」と、富山を付けて呼ぶようになる |
| 明治22年(1889) | 富山市が生まれ、「富山市御福新町」に |
| 明治34〜36年(1901〜03) | 神通川の馳越線工事。町の全部が新しい川の敷地になり、住民は五福・桜谷・神通町の方へ |
| いま | 跡は神通大橋の南、西の岸寄りの川の中 |
出典:角川日本地名大辞典 16 富山県「御福新町」(JLogos)/平凡社 日本歴史地名大系「御福新町」(コトバンク)/富山県「今日は何の日」年表/富山市郷土博物館「博物館だより」45号。辞典は町名の終わりを「明治35年」、工事を「明治35」としています。工事の期間は県の年表などに合わせて明治34〜36年と書きました
いまの航空写真と比べると

いまの航空写真に同じ場所を重ねると、御福新町のあたりは、神通大橋の南の河川敷と川の流れの中です。富山県の年表には、この工事で「桜谷・呉羽地内で248戸」が移転したと書かれています。御福新町から移った家の数は分かっていません。
いまの「五福新町」とは別の場所
川の西の岸、神通大橋のたもとのあたりには、いま「五福新町」という呼び名があります。富山市の町名一覧では、五福地区の通称の町名(住所の正式な町名ではない呼び名)です。読み方は同じ「ごふくしんまち」ですが、川の中になった御福新町とは別の場所です。なお、もとの五福村の名前には、昔から「御服」「御福」「五福」などの字が当てられてきました。御福も五福も、同じ村の名前の字の違いです。
出典:富山市「町名一覧(地区・地域別)」/平凡社 日本歴史地名大系「五福村」(コトバンク)
古地図を重ねたリール動画
明治・いまの地図を順番に重ねた動画を、富山みっけのInstagramに載せています。
さいごに
いまは河川敷と川の流れが広がる神通大橋の南に、江戸時代から続く街道の町がありました。まっすぐな神通川は、町ひとつと引きかえに生まれた川でもあります。
「あの場所は昔どうだった?」という疑問があれば、動画のコメントで教えてください。富山みっけが調べます!


この記事は2026年11月5日時点の、角川日本地名大辞典(JLogos)・日本歴史地名大系(コトバンク)・富山県と富山市の資料をもとに書いています。地図は「今昔マップ on the web」(谷謙二)と地理院タイルから作成しました。




