⛵ 江戸時代の富山では、船を64艘つないだ「船橋」で神通川を渡っていた
- 川に船を並べて鎖でつなぎ、その上に板を渡した「船橋(ふなはし)」が、北陸街道の神通川の渡り口だった
- 始まりは慶長元年(1596年)とも慶長10年(1605年)ごろとも言われ、船は寛永8年(1631年)に52艘、のちに64艘になった
- 両岸に番所が置かれ、毎年、船3艘と板6枚ずつを富山藩の費用で新しくした。浮世絵にも描かれた越中の名所だった
- 明治15年(1882年)に木の橋「神通橋」にかけかえ。いまは同じ場所の松川に「舟橋」がかかり、常夜燈も残っている
富山城址公園のすぐ北西、松川にかかる「舟橋(ふなはし)」。名前のとおり、ここには江戸時代、船を何十艘もつないだ橋がかかっていました。明治43年・昭和43年・いまの地図を並べて、江戸時代の人たちがどうやって神通川を渡っていたのかを見ていきます。
映画『腹をくくって』の舞台は、江戸時代中期の富山藩
木村大作監督・山﨑賢人さん主演の映画『腹をくくって』は、江戸時代中期の富山藩が舞台の時代劇です。2026年10月22日に県内でのロケが始まり、最初は立山町芦峅寺の称名滝の近くの河原と岩場で、山﨑さんが水で顔を洗う場面や、刀を振る場面が撮影されました。県内では12月ごろまで撮影が続く予定で、公開は2027年11月19日(全国公開)です。
映画の舞台になった時代の富山藩には、城下の入り口に、全国に知られた船の橋がありました。この記事では、その「船橋」の話をします。
明治43年・昭和43年・いまの地図で見る、舟橋のまわり

左の明治43年(1910年)の地図では、富山城のすぐ北を神通川が流れていて、赤丸のところに「神通橋」がかかっています。中の昭和43年(1968年)の地図では、川は埋め立てられて町になり、細い松川だけが残っています。右のいまの地図でも、赤丸のところで道が松川を渡っています。ここにかかるのが、いまの「舟橋」です。

富山県の冊子では、かつて神通橋がかけられていた場所に、いまは「舟橋」という名前の橋がかかっている、と紹介されています。
地図:「今昔マップ on the web」(谷謙二)より作成/地理院タイル。出典:富山県土木部都市計画課『富山大橋の秘密を探る旅』(平成27年)
船を並べて鎖でつなぎ、板を渡した「船橋」
神通川は水の量が多く、ふつうの橋をかけてもすぐ流されてしまう川でした。そこで、川に船を並べてつなぎ、その上に板を渡して、人や馬が通れるようにしたのが「船橋」です。富山城下を通る北陸街道は、富山城の西側でこの船橋を渡っていました。
| 部分 | 中身 |
|---|---|
| 船 | 64艘を並べる(1艘の長さ約11m・幅約1.9m) |
| つなぎ方 | はじめは太綱、のちに鉄の鎖2本 |
| 板 | はじめは3枚ほど、のちに5枚、7枚と増やされた(1枚の長さ約10m・幅約36cm以上) |
国土交通省の資料には、橋から落ちる人が絶えなかったため、板を5枚、7枚と増やしていった、と書かれています。
出典:国土交通省「日本の川 神通川」/富山県土木部都市計画課『富山大橋の秘密を探る旅』(平成27年)/富山市郷土博物館『博物館だより』第29号・第30号「越中富山の船橋」
始まりは1596年?1605年? 船は52艘から64艘へ
船橋がいつできたかは、いくつかの説があります。国土交通省の資料では、慶長元年(1596年)に前田利家がつくらせたのが始まりといわれる、としています。富山市郷土博物館や富山市埋蔵文化財センターは、前田利長が富山城と城下町を整えた慶長10年(1605年)ごろに、それまでの渡し船をやめて船橋にした、とみています。
はじめの船橋は、いまの舟橋より100mほど下流(いまの安住橋の東側)にあったと考えられています。その後、洪水で流されたあと、寛文元年(1661年)に、いまの舟橋のあたり(船頭町と七軒町を結ぶ位置)にかけ直されました。
出典:国土交通省「日本の川 神通川」/富山市郷土博物館『博物館だより』第29号・第30号「越中富山の船橋」/富山市埋蔵文化財センター「富山船橋(1)船橋は移転した/(2)船橋の設置と変遷」
年表:船の渡しから、船橋、神通橋、舟橋へ
| 年 | 出来事 |
|---|---|
| 天正8年(1580)ごろ | 神通川は船の渡しで渡っていた(佐々成政が渡しの決まりを出す) |
| 慶長元年(1596) | 国土交通省の資料では、前田利家がつくらせたのが船橋の始まりといわれる |
| 慶長10年(1605)ごろ | 富山市郷土博物館などは、このころ渡し船をやめて船橋にしたとみている |
| 寛永8年(1631) | 船を新しく作り替える。このとき船は52艘 |
| 寛文元年(1661) | いまの舟橋のあたりにかけ直される。このころ船が64艘になったか |
| 寛政11年(1799) | 町年寄の内山権左衛門が、両岸のたもとに常夜燈を寄進 |
| 明治15年(1882) | 木の橋にかけかえられ、名前も「神通橋」に |
| 平成元年(1989) | 松川に、いまの「舟橋」が完成 |
出典:国土交通省「日本の川 神通川」/富山県土木部都市計画課『富山大橋の秘密を探る旅』(平成27年)/富山市郷土博物館『博物館だより』第29号・第30号「越中富山の船橋」/富山市埋蔵文化財センター「富山船橋(1)船橋は移転した/(2)船橋の設置と変遷」/松川遊覧船「コースと見どころ」
富山藩の費用で守られた、日本一の船橋
富山藩が領地を治めるようになると、船橋も富山藩が管理するようになりました。両岸には番所が置かれ、毎年、船を3艘、橋板を6枚ずつ順に新しくしていました。その費用は富山藩から出ていました。大水や大雪で橋が危ないときは、鎖を切り分けて船を守り、そのあいだは渡し船で人を渡したそうです。
こうして守られた船橋は、越中富山を代表する風景として、たくさんの絵に描かれました。歌川広重の「六十余州名所図会」にも「越中富山船橋」が描かれています。富山市郷土博物館の企画展でも、神通川の船橋は「日本一の船橋」と評された名所として紹介されています。
出典:富山市郷土博物館『博物館だより』第29号・第30号「越中富山の船橋」/富山県土木部都市計画課『富山大橋の秘密を探る旅』(平成27年)/富山市郷土博物館 企画展「画と文にみる江戸時代の越中富山」(令和4年)
明治15年に「神通橋」へ。昔の流れは、いまの松川に
明治15年(1882年)、船橋は木の橋にかけかえられ、名前も「神通橋」になりました。神通川に初めてかかった本格的な橋で、長さは約230mありました。
その後、明治から昭和のはじめにかけて神通川は付け替えられ、富山城の北を大きく曲がっていた流れは埋め立てられました。桜の名所として知られる松川は、神通川の本流だったころの名残です。神通川の付け替えのくわしい話は、古地図シリーズ1本目の記事にまとめています。

出典:富山県土木部都市計画課『富山大橋の秘密を探る旅』(平成27年)/国土交通省「日本の川 神通川」
いま行くなら:松川の舟橋と、2つの常夜燈
いま、船橋の跡の松川には、平成元年(1989年)9月にできた「舟橋」がかかっています。日本三大船橋の中で最大といわれた「越中神通船橋」の跡にかかるので、舟橋と名付けられました。
船橋の両岸のたもとに置かれた常夜燈も、いまも残っています。寛政11年(1799年)に町年寄の内山権左衛門が寄進したもので、1基は舟橋の南詰に、もう1基は250mほど北の富山県森林水産会館の前にあります。南詰の常夜燈には、昭和20年の富山大空襲で焼夷弾が当たった欠けが残っています。
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 場所 | 松川の舟橋(富山城址公園の北西。七軒町と舟橋南町のあいだ) |
| 行き方 | 富山城址公園の松川茶屋(富山駅から歩いて約10分)から、松川沿いに上流(西)へ |
| 見学 | 橋と常夜燈は外から自由に見られる |
出典:松川遊覧船「コースと見どころ」「日本一の船橋『神通川船橋』」「アクセス」/富山市郷土博物館『博物館だより』第29号・第30号「越中富山の船橋」
松川遊覧船は、いまは工事で運休中(再開は来年3月下旬の予定)
松川遊覧船に乗ると、船の上から舟橋を見られます(舟橋は遊覧コースの上流側の折り返し点です)。ただし、2026年の運航は、能登半島地震の災害復旧工事が再開するため9月27日で終わりました。来年の運航開始は3月下旬の予定です。乗り場の松川茶屋はふだんどおり営業しています。
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| のりば | 松川茶屋(富山城址公園内・富山市本丸1-34) |
| 所要時間 | 約30分(往復約2.4km) |
| 料金(2026年・通常期) | 大人(12歳以上・小学生を除く)2,000円、小人(3歳〜小学生)1,000円。桜の開花中は割増 |
| 障害者割引 | 身体・知的・精神の障害者手帳を持つ人は割引(2026年の通常期は大人1,600円・小人800円、介添えは1人目1,600円・2人目から2,000円)。手帳の現物かミライロIDを見せる(コピー不可) |
| 車いす | 車いすを降りて乗る船。乗り場へは階段を13段ほど降りる |
2027年の料金は変わることがあるので、乗る前に公式サイトで確かめてください。
出典:松川遊覧船「運航情報」・「料金(2026年)」(2026年10月29日に確認)
古地図を重ねたリール動画
称名滝から始まり、明治43年・いまの地図を順番に重ねた動画を、富山みっけのInstagramに載せる予定です。
古地図を重ねたリール動画
称名滝から始まり、明治43年・いまの地図を重ねた動画を、富山みっけのInstagramに載せています。
さいごに
いまは車がふつうに通る松川の舟橋ですが、江戸時代には、ゆらゆら揺れる64艘の船の上を、人も馬も歩いて渡っていたんですね。富山城址公園に寄ったときは、舟橋の南詰の常夜燈まで足をのばしてみてはいかがでしょうか〜!
同じ富山城のまわりの話として、お堀が埋められていった話もあわせてどうぞ。


この記事は2026年10月29日時点の、国土交通省・富山県・富山市郷土博物館・富山市埋蔵文化財センターの資料と、松川遊覧船の公式サイト、北日本新聞の記事をもとに書いています。地図は「今昔マップ on the web」(谷謙二)と地理院タイルから作成しました。




