✈️ 富山空港の滑走路は、神通川の堤防にはさまれた河原の上
- 滑走路と駐機場は、洪水のときに水が流れる神通川の高水敷(こうすいじき)にある
- 旅客が出入りする空港が川の中にあるのは、全国でも富山空港だけとされる
- 明治の地図では、滑走路のあたりは神通川の広い河原
- 昔は夜のあいだ飛行機を川の中に停めておけず、国際線が来たときに「洪水のときは飛行機を堤防の内側へ引っぱり上げる坂をつくる」という条件で認められた
富山空港(愛称:富山高山すし空港)の滑走路は、神通川の中にあります。明治・昭和の地図といまの航空写真を重ねて、なぜ川の中に空港があるのかを見ていきます。
滑走路と駐機場は、神通川の高水敷の上

右の航空写真で、黄色い線が神通川の堤防です。滑走路と駐機場は、この2本の堤防にはさまれた高水敷にあります。高水敷は、ふだんは乾いていても、洪水のときには水が流れる場所です。
グライダーや軽飛行機の滑走路が河川敷にある例はありますが、旅客が大勢出入りする空港となると、全国でも富山空港だけとされています。ターミナルビルなどの建物は、堤防の内側(まち側)にあります。
出典:日本河川協会 メールマガジン「河川こぼれ話【88】河川内の空港」(松田芳夫)
明治と昭和の地図に残る、空港ができる前の河原
左の明治43年(1910年)の地図に、いまの滑走路の位置を赤で重ねています。滑走路のあたりは、神通川の広い河原と、その川岸でした。

昭和5年(1930年)の地図でも、まだ川と河原と田んぼだけ。昭和43年(1968年)の地図には、河原の中に「富山空港」の文字が入っています。
地図:「今昔マップ on the web」(谷謙二)より作成/地理院タイル
昭和38年の開港、滑走路は1,200mから2,000mへ
| いつ | できごと |
|---|---|
| 1963年(昭和38年)8月20日 | 富山空港が開港。滑走路は1,200m |
| 1984年(昭和59年)3月18日 | 滑走路を2,000mに延ばし、ジェット機が飛べるように |
| 2026年(令和8年)7月8日 | 愛称が「富山きときと空港」から「富山高山すし空港」に |
出典:富山高山すし空港「富山空港について」、Aviation Wire「富山空港使って地酒やギフト券当たる 県が羽田便キャンペーン」(2018年5月4日)
夜は停められなかった飛行機と、堤防の内側へ上がる坂
堤防が空港とまちを分けてくれるので、騒音が抑えられるという良さもあります。その代わり、洪水が来るかもしれない場所です。
| 国内線だけのころ | 飛行機は客を乗せてほかの空港へ飛び立ち、夜のあいだ河原に停めておくことは認められていなかった。人の少ない夜に水が出るのを心配したため |
| 国際線が来ることに | 中国や韓国からの便が来ることになり、ダイヤの都合で夜も停めておく必要が出た |
| 認められた条件 | 洪水のときに、飛行機を堤防の内側へ引っぱり上げるための、幅が広くてゆるやかな坂(斜路)をつくること |
出典:日本河川協会 メールマガジン「河川こぼれ話【88】河川内の空港」(松田芳夫)
2026年7月、愛称は「富山高山すし空港」に
2026年7月8日、富山空港の愛称は、2012年から使われてきた「富山きときと空港」から「富山高山すし空港」に変わりました。変わった経緯や看板の付け替え予算は、こちらの記事にまとめています。

古地図と航空写真を重ねたリール動画
明治・昭和・いまの地図と航空写真を順番に重ねた動画を、富山みっけのInstagramに載せています。
さいごに
飛行機に乗るとき、窓から堤防と河原が見えたら「ここ、川の中なんだな〜」と思い出してみてください!
空港の1階には、10月26日に寿司のお店がオープンする予定です。乗る予定がなくても、寄ってみてはいかがでしょうか〜!


この記事は2026年10月25日時点の、日本河川協会のメールマガジン「河川こぼれ話【88】河川内の空港」、Aviation Wireの記事(2018年5月4日)、富山高山すし空港の公式サイトをもとに書いています。地図は「今昔マップ on the web」(谷謙二)と地理院タイルから作成し、滑走路と堤防の位置はおおまかに示したものです。



