🚃 西町から不二越駅前まで、いまの堤町通りの道すじを市内電車が走っていた
- 昭和43年・昭和58年の地図には、西町から東へ、不二越駅前まで線路が描かれている
- 西町〜中教院前(当時の停留場名は通坊前)は昭和3年、中教院前〜不二越駅前は昭和36年に開業
- 車社会で市内電車は縮み、この区間は昭和59年4月1日に廃止
- いま富山市は、南富山駅で市内電車を上滝線へ乗り入れる検討をしている
西町の交差点から東へ、不二越駅の方へ続く道。ここにむかし、富山の市内電車が走っていたのを知っていますか?明治・昭和・いまの地図を重ねて、消えた線路をたどってみます。
昭和5年の地図では、不二越駅のあたりはまだ田んぼ

昭和5年(1930年)の地図を見ると、街なかの家並みは清水町のあたりまで。その東、いまの不二越駅のまわりは、田んぼの記号が広がっています。
この少し前の昭和3年(1928年)、西町から東へ向かう市内電車(東部線)が開業しました。いまの中教院前のあたりは、当時「通坊前」という停留場でした。
出典:Wikipedia「富山地方鉄道富山軌道線」(富山地方鉄道の歩みをまとめた本や鉄道の地図帳を出典にした記述)
昭和36年、線路は不二越駅前までのびた

昭和36年(1961年)、中教院前から不二越駅前までの線(山室線)が開業。西町から不二越駅前まで、電車で行けるようになりました。
停留場は、西町から順に東堤町・中教院前・清水町・元町北銀前・不二越駅前です(東堤町は途中で廃止。時期は不明)。
上の昭和43年(1968年)の地図では、田んぼだったところに家や工場が並び、通りの真ん中に線路が描かれています。
出典:Wikipedia「富山地方鉄道富山軌道線」(富山地方鉄道の歩みをまとめた本や鉄道の地図帳を出典にした記述)
車社会になって、市内電車は縮んでいった
自動車がふえると、路面電車は道路の混雑で遅くなり、利用が減っていきました。市内電車の線は、次々に廃止されていきます。
| いつ | 廃止された区間 |
|---|---|
| 昭和44年(1969年) | 大学前〜球場前が廃止 |
| 昭和47年(1972年) | 中教院前〜赤十字病院前〜地鉄ビル前(日赤方面)が廃止 |
| 昭和48年(1973年) | 西町〜旅篭町〜丸の内(環状線の西側)が廃止 |
| 昭和59年(1984年)4月1日 | 西町〜不二越駅前が廃止 |
真ん中の昭和58年(1983年)の地図には、まだ線路が残っています。廃止はその翌年でした。このあと市内電車で残ったのは、南富山駅前から大学前までの1本だけになりました。
出典:富山市 路面電車推進室「富山市の路面電車を活かしたまちづくり」(2010年の講演資料)、Wikipedia「富山地方鉄道富山軌道線」(4月1日の日付)
地図:「今昔マップ on the web」(谷謙二)より作成/地理院タイル
線路があったのは、いまの堤町通りから東へ続く道
下のいまの地図に重ねると、線路があったのは、西町から堤町通りを東へ、不二越駅へ続く道すじです。いまは車が走るふつうの道路になっています。
いま:市内電車を南へのばす検討
市内電車は平成21年に環状線が開業し、令和2年には富山駅で南北の路面電車がつながりました。
さらに富山市は、南富山駅で市内電車を富山地方鉄道上滝線(鉄道)へ乗り入れる検討をしています。都心と富山市南部を行き来しやすくするためです。
| 運賃(現金・全国交通系ICカード) | 大人240円・小人120円(どこまで乗っても同じ) |
| 障害者割引 | 手帳を見せると普通運賃が5割引。第1種・1級・A級の方は介護者も5割引 |
出典:富山地方鉄道「市内電車 経路・時刻・運賃」、富山地方鉄道「障がい者割引(鉄道・軌道)」
古地図を重ねたリール動画
明治・昭和・いまの地図を順番に重ねた動画を、富山みっけのInstagramに載せています。
さいごに
毎日なにげなく通る堤町通りも、昭和59年までは電車の通り道でした。不二越駅へ歩くとき、通りの真ん中を走る電車を思い浮かべてみてはいかがでしょうか〜!
市内電車の環状線が一度切れて、また輪になった話はこちら。

富山の南を走った、もうひとつの消えた鉄道・笹津線の話もまとめています。

この記事は2026年11月6日時点の資料をもとに書いています。廃止の年は富山市の資料、開業の年と廃止の日付は Wikipedia(鉄道の歩みをまとめた本などを出典にした記述)によります。地図は「今昔マップ on the web」(谷謙二)と地理院タイルから作成しました。




