🚃 富山新港の入り口には、昔、射水線の電車が走っていた
- 射水線は、昭和8年(1933)に富山と新湊を結んだ電車(のちの富山地方鉄道 射水線)
- 昭和41年(1966)、富山新港をつくるため、越ノ潟〜新港東口のあいだで線路が分けられた
- 昭和42年(1967)11月、港の入り口を切る工事が始まり、代わりの足として県営の渡し船が就航
- 富山側に残った新富山〜新港東口も、昭和55年(1980)4月1日に廃止。いまも渡し船は無料で走っている
前に、富山新港は昔「放生津潟」という潟だった話を書きました。その港の入り口には、昔、富山と新湊を結ぶ電車が走っていました。昭和43年・昭和58年・いまの地図を並べて、射水線が消えていった流れを見ていきます。
昭和・いまの地図で見る、射水線の線路

左の昭和43年(1968年)の地図では、新富山から四方(よかた)へ北に向かい、そこから海沿いを西へ走る線路があります(赤い線)。線路は新港東口で止まり、その先は港の入り口です。
中の昭和58年(1983年)の地図では、この線路はもうありません。右のいまの地図には、昔の線路の位置を赤い線で重ねています。
地図:「今昔マップ on the web」(谷謙二)より作成/地理院タイル
昭和8年、射水線で富山と新湊が電車でつながる
射水線は、昭和8年(1933)に富山と新湊を結びました。富山の新富山から、海沿いを通って新湊へ向かう電車でした。
射水線は、のちに富山地方鉄道の路線になりました。
出典:万葉線株式会社「万葉線設立の経緯について」
富山新港をつくるため、線路が分けられた
| 年 | 出来事 |
|---|---|
| 昭和41年(1966)4月5日 | 富山新港をつくるため、越ノ潟〜新港東口のあいだで線路が分けられる。港の向こう側の新湊〜越ノ潟は、加越能鉄道にゆずられた |
| 昭和42年(1967)11月 | 港の入り口を切る工事が始まり、県営の渡し船が就航。道路と射水線の代わりの足になった |
| 昭和55年(1980)4月1日 | 富山側に残った新富山〜新港東口も廃止 |
港の入り口が切られたことで、射水線は港の東と西で分かれることになりました。
出典:万葉線株式会社「万葉線設立の経緯について」/射水市「富山新港のあゆみ」/富山県「渡船」
越ノ潟から先は、いまも万葉線が走る
港の向こう側、越ノ潟から高岡駅前までは、いまも万葉線の電車が走っています。
港の上には、2012年(平成24年)9月23日に新湊大橋の車道が開通しました。歩道は翌2013年6月16日に開通しています。
出典:万葉線株式会社「万葉線設立の経緯について」/射水市「新湊大橋の概要」
県営の渡し船は、いまも無料で走っている
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 結ぶところ | 越ノ潟〜堀岡(約770m) |
| かかる時間 | 約5分 |
| 料金 | 無料(昭和61年4月から) |
| 時刻表 | 富山県「県営渡船及び代行車両時刻表」 |
富山県は2026年5月31日と6月7日の2日間、渡し船を止めて、車で運ぶ社会実験も行いました。
出典:富山県「渡船」/富山県「社会実験日の代行車両時刻表」
古地図を重ねたリール動画
昭和の地図といまの地図を順番に重ねた動画を、富山みっけのInstagramに載せています。
さいごに
いま渡し船で5分ほどの港の入り口に、昔は電車が走っていました。渡し船に乗りながら、「ここで線路が分けられたんだな〜」と思うと、ちょっと景色が違って見えますね!
港ができる前の放生津潟の話も、あわせて読んでみてはいかがでしょうか〜!
砺波平野を走っていた、もうひとつの消えた鉄道、加越線の話も書きました。


この記事は2026年10月26日時点の、万葉線株式会社「万葉線設立の経緯について」、射水市「富山新港のあゆみ」「新湊大橋の概要」、富山県「渡船」「県営渡船及び代行車両時刻表」をもとに書いています。地図は「今昔マップ on the web」(谷謙二)と地理院タイルから作成しました。




