高岡城のお堀はなぜ残った|古地図で見る、町の人が守った城跡【高岡古城公園】

高岡古城公園 明治43年の地図といまの航空写真(高岡城のお堀)

🏯 高岡城のお堀は、町の人たちが守って、いまも残っている

  • 高岡城は1609年、富山城を大火で失った前田利長が築いた城
  • 1615年の一国一城令で廃城。それでも3代目の利常が、城の基本の形を残した
  • 明治3年に城跡を民間に払い下げる話が進み、町の人たちが県に願い出て、明治8年に「高岡公園」として残った
  • いまも公園の広さの3分の1がお堀。2015年に国の史跡に

前回、富山城のお堀が明治から昭和にかけて埋められ、いまは一部だけになった話を書きました。同じ前田家の城でも、高岡城のお堀は、いまもほとんどそのまま残っています。明治・昭和・いまの地図を並べて、なぜ残ったのかを見ていきます。

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目次

明治・昭和・いまの地図で見る、高岡城のお堀

高岡古城公園 明治43年・昭和43年・いまの地図の比較(高岡城のお堀)
左:明治43年(1910年)/中:昭和43年(1968年)/右:いま

左の明治43年(1910年)、中の昭和43年(1968年)、右のいまの地図を比べると、本丸のまわりをぐるりと囲むお堀の形は、ほとんど変わっていません。

地図:「今昔マップ on the web」(谷謙二)より作成/地理院タイル

富山城を大火で失い、1609年に前田利長が築いた高岡城

加賀前田家2代の前田利長は、1605年に隠居して富山城に移りました。ところが1609年3月の大火で富山城を失い、当時「関野」と呼ばれていた土地に、新しく城をつくることにします。

利長はこの地を「詩経」の一節から「高岡」と名付け、同じ年の9月に高岡城に入りました。城の縄張り(設計)は、築城の名手として知られる高山右近が手がけたと伝えられています。

出典:高岡古城公園 公式ウェブサイト「古城公園について」

1615年の一国一城令で廃城、それでも残された城の形

利長が亡くなった翌年の1615年(元和元年)、一国一城令で高岡城は廃城になります。それでも3代の利常は、利長の思いをくんで、城の基本の形を残しました。

廃城のあとの城跡は、町の人から「古御城(ふるおしろ)」と呼ばれていました。

出典:高岡古城公園 公式ウェブサイト「古城公園について」

明治3年の払い下げの危機と、明治8年の「高岡公園」

年出来事
明治3年(1870)金沢藩が、城跡を民間に払い下げ、開拓するよう命じる。木を切る落札者まで決まっていた
その後長く町の誇りだった城跡を失ってはならないと、服部嘉十郎らが、公園にしてほしいという願いを県に出す
明治8年(1875)7月4日城跡は「高岡公園」として残る

富山県と高岡市がまとめた資料でも、このときの町の人たちの保存の動きが、城の基本の形を守ったと紹介されています。

出典:高岡古城公園 公式ウェブサイト「古城公園について」/富山県・高岡市「近世高岡の文化遺産群」(平成19年)

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いまも公園の3分の1がお堀、2015年に国の史跡に

項目内容
広さ約21万㎡(東京ドームの約4.5倍)
お堀3つの水濠に囲まれ、公園の広さの3分の1を占める。ほとんど築城のころのまま
国の史跡2015年3月10日に「高岡城跡」として指定
選ばれているものさくら名所100選、甦る水100選 など

春は桜、秋は紅葉と、季節ごとの景色が楽しめます。本丸から二上山を望む眺めや、お堀に映る景色も見どころです。

出典:高岡古城公園 公式ウェブサイト「古城公園について」/文化庁「文化遺産オンライン 高岡城跡」

高岡古城公園への行き方

項目内容
場所富山県高岡市古城
電車あいの風とやま鉄道 高岡駅から北東へ約1km、歩いて15分ほど/JR氷見線 越中中川駅から歩いて4分
バスバス停「古城公園」か「中川」から歩いて1分
車能越自動車道 高岡ICから約15分
駐車場小竹藪駐車場・北口駐車場・高岡市営御旅屋駐車場。土日・祝日は高岡市職員駐車場と文化の森駐車場も使えます。観光バスは小竹藪駐車場(5台・予約不可)
問い合わせ高岡古城公園管理事務所 0766-20-1563

出典:高岡古城公園 公式ウェブサイト「アクセスマップ」「ご利用について」/富山県「高岡古城公園」

古地図を重ねたリール動画

明治・昭和・いまの地図を順番に重ねた動画を、富山みっけのInstagramに載せています。

Instagram@toyamamikke

富山城のお堀は、ほとんど埋められました。でも、高岡城のお堀は、いまも残っています🏯

築城から明治8年の公園化、国の史跡まで、お堀の400年を74秒で。

2026年10月26日の投稿

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さいごに

富山城のお堀はほとんど埋められ、高岡城のお堀は町の人たちが守った。同じ前田家の城でも、明治の分かれ道でずいぶん違う姿になりました。

お堀のまわりを歩きながら、「400年前からこの形なんだな〜」と思うと、ちょっと見え方が変わりますね!

埋められていった富山城のお堀の話も、あわせて読んでみてはいかがでしょうか〜!

高岡の古地図の話、次は庄川と小矢部川の河口です。

OFFICIAL高岡古城公園 公式ウェブサイトkojyo.sakura.ne.jp INFO今昔マップ on the web時系列地形図閲覧サイト|ktgis.net

この記事は2026年10月26日時点の、高岡古城公園 公式ウェブサイト、富山県・高岡市「近世高岡の文化遺産群」、文化庁「文化遺産オンライン」、富山県「高岡古城公園」をもとに書いています。地図は「今昔マップ on the web」(谷謙二)と地理院タイルから作成しました。

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この記事を書いた人

かおるのアバター かおる 富山みっけ 編集人

富山みっけのスタッフ、かおるです。富山生まれ、富山育ち。十数年の都会暮らしを経てUターンしました。
IT系の会社でWebサイトの制作や運用に携わってきた経験を、富山みっけのサイトづくりに生かしています。むずかしい言葉を使わずに書くのがモットーです。
ライブハウスやクラブの撮影に携わっていたこともあり、PR記事の取材では撮影までやらせてもらうことがあります。休みの日はグラベルロードバイクで、景色を見ながらのんびり走っています。

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